Ametsubu station

考えたり、思ったり。書いたり。

全て自分のせいなので

 

 

自らの人生の中でいくつかの

 

 

「点」

 

 

を打つとしたら

 

 

 

 

2019年に人生最低点を

 

 

それから今の2022年にはさらに底辺の点を

 

 

 

打ちますかね。

 

 

 

 

 

 

 

何もしない

 

変わろうとしない

 

 

 

こんなダメになったゴミくずみたいな自分が

 

嫌いです。

 

 

 

生きてはいます。

 

ただ、このまま生きててもなって思う時もあります。

好きな言葉

なにも変わらずまた年が明けました。

 

 

 

さて。。。

 

 

私が学生のころから今もずっと、大好きな言葉があります。

 

 

 

 

「大いに悩め若者よ。それが明日の糧となるさ」

 

これもまた、私の大好きなオーディオドラマの中で出てくる言葉です。

 

 

考え、無意識に悩むことが多かった自分は

 

作中でこの言葉を聴いたとき、とても心に響き

 

当時はもちろん

 

今でも心の支えになっています。

 

 

ですが

 

 

自分が歳を重ねるにつれ

 

この言葉の「若者」からだんだん遠ざかっていくような感じがして

 

少し寂しさを感じるようにもなりました。

 

 

作中で主人公の学生相手にヒロインが発した言葉なので

 

 

当時学生だった自分にドンピシャだったんですけど。。。

 

 

 

うまく言葉にできないけど

 

 

 

とにかくちょっぴり寂しいのですよ

 

 

 

 

 

まぁ、それでも

 

 

座右の銘?好きな言葉に

 

歳とか時期とかは関係ないってのが正解なのでしょうかね

 

 

私はオーディオドラマの作品自体も大好きですから

 

 

これから先この言葉を好きでいると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもやっぱり

 

これから先思い出すと「...ん?」ってなっちゃうかも

 

心の中にそればかり

趣味に打ち込んだ一年...

 

と言ったら聞こえはいいが、実際まだ何も変わってない。

 

 

変わっていこうとしていない

 

 

だから変わらない

 

 

目標もない

 

 

だから進む道もわからない

 

 

無意識に前に進むことが怖くなっている

 

 

 

 

日々ところどころで「なぜ自分は新しいことに向け動くことができないのか」

 

こればっかりである。

 

 

 

考えることが嫌になって前に進むのをやめてしまったはずなのに

 

 

今では考えるだけ考えて、前に進まず行動にすら起こそうとしない...

 

 

 

なんかもう。。自分がただの甘ったれ、なんてことくらいわかってるし

 

同年代の周りの人を見てもどんどん変わっていっていることも

 

気づいていないわけじゃない。

 

 

来年は何でもいいから、前に進まないと。。。

 

 

 

 

二年前のあの時から、人付き合いとか、他人と一緒にいることが特に嫌いになってしまったけど

 

 

まだ「どうにかしなきゃいけない」という気持ちが残っているうちは

 

 

その気持ちだけでも動力にして、前に進んでいかないとダメだ。

 

 

 

またその過程で鬱っぽくなったり、過去の自分を思い出してダメになっちゃうかもしれないけれど

 

 

そしたらまた休めばいい。

 

 

 

 

とにかく、再びの一歩を踏み出さなければ何も始まらない。

 

 

 

 

 

 

来年の今日の自分に再び問いたいと思う。

 

「私は、変わることが。。。いや、前に進むことができたのでしょうか」

立ち止まりつづき、過ぎていく日々。

あと数ヶ月で

 

私が前に進むことをやめてしまった年から2年が経とうとしている。

 

 

考えることが嫌になり止め、次に進む道を探すことを止めてしまったあの日から

 

 

 

勉強はすごい出来るわけではなかったけど、自分なりに頑張って周りについていった。

 

今思うといろいろ考えて頑張ってたんだなと、思うくらいには頑張っていたと思う。

 

当然、当時の自分は自分自身が頑張っているなんて思ってない。無意識のはず。

 

 

そして約2年前

 

つもりに積もった何かが、頭や心の中であふれかえり折れてしまった......

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんとかなる」は自身に「なんとかする」気が無ければ何も変わらない

 

これもやっと自分の中で証明できた。

 

当たり前だろって思うかもしれないけど、頑張っていたころはこれがわからなかった。

 

 

頑張っていればなんとかなってしまうから。

 

 

 

 

 

現在はとっくに立ち直ってるはずなのに

 

気持ちがなかなか前を向いていかない...

 

なんで自分はこんな人間なのか、他人のように前に進んでいけないのか

 

 

また自分を見失って自身を責めないように、どうにかならないように

 

自分を嫌いにならないように

 

 

 

 

進む道を考えていかなければならない。

 

 

再構築

最近やっと、関東でも梅雨入りしたらしい。

 

雨音や雨の日独特のにおいなど、見て聴いて心が落ち着くので割と好きである。

 

好きになったというのが正しいかもしれない。

 

 

音と匂いには記憶や心情が深く結びつくと思っている。

 

 

 

 

過去にもオーディオドラマの回で書いているとは思うが

 

 

ある音を聞いたときに考えたことや、思ったこと。匂いであれば、その匂いを嗅いだ時に浮かぶ景色や、そのときに思ったことなどが記憶される。

 

 

またある時、その音や匂いを嗅いだときに記憶がよみがえるのだ。

 

 

それを10年近くオーディオドラマでやってきたために、オーディオドラマが心のよりどころとなってしまったのが私である。

 

 

 

 

 

ただ、コロナ禍ということもあり、前のように頻繁に外出することもなくなったため

 

 

繰り返し聴いて蘇ってきた記憶が無くなってきてしまっているのではないかと、不安に思うようにも最近なってきたのだ。

 

 

さすがに10年近くやってきたことだから忘れないだろうとも思ったが

 

 

残念ながら記憶とは繰り返し行われなくなったことから忘れていく...

 

 

そして新しいものが上書きされていくものだ。ともわかっている。

 

 

 

 

 

しかしだからと言って、やみくもに聴いてしまえば逆効果になる。

 

 

過去の自分が思ったこと、考えたこと、そのときに見えていた景色、匂い。

 

 

これらを丁寧に思い出しながら聴かないといけない。

 

 

 

 

 

雨の降るちょうどよい季節がやってくる。

 

 

過去の自分を見つめなおし、薄れた記憶を再構築していこうと思う。

春のにおい、夏のはじまり。

春のにおい。

 

どちらかと言うと嫌な、辛いような思い出が

 

匂いとともに残っている。

 

 

暖かくなって日差しのにおいが濃くなり

 

風は青く、でもまだ夏というには遠い

 

少し冷ややかなぬるい風が、肌をなでる。

 

 

 

 

そしてまた、年が明けた...

将来、自分の未来について考えるのが嫌になった2019年。

 

そこから何もしないでふらふらしていたら、一年経っていました。

 

2020年はコロナのこともあって、世間が今までとは違うようになってしまいましたし

 

これからどうなるのか考えることもしばしばあったし、

 

何より自分がこれからどうするのか、悩むのを止めたと言ってもいつかは自分でどうにかしなきゃいけないともわかっているし...

 

 

 

思えば一昨年

 

 

学生のときは淡々と普通のことをこなしてきたのに、大学卒業を前に皆が普通にやっていることに踏み出すことができなくなっている自分が惨めになり、私の心は壊れ涙が止まらなくなりました。

 

最近読んだ小説に

 

「人は他人のために泣くことは出来ない、自分の為にしか泣くことが出来ない」と

 

そんなようなことが書いてあって

 

例えば、自分にとって大切な人が亡くなった時に出る涙は、その人を失った自分がかわいそうだから

 

この時の私も誰かのためではなく、自分が惨めで、自分のために涙を流していたな...なんて最近思いまして。

 

 

 

まぁ、大学は研究はせずに卒業し、したらコロナで。

 

一年の休養?かどうかはわからないけど心情とは別として、涙もろくはなくなりました。精神状態は前より良くはなっていると思う。

 

ただ将来的な事で言うと、未だ何も進んではいないです。

 

 

皆と同じように、なんて思わないけど

 

自分の心の底の何かを変えなければ、先には進めないとは思ってる。

 

 

 

今年はどんな一年になるのでしょうかね......。

 

 

 

 

余書き

2020年は新しい趣味として「アクアリウム」を始めました。